東京地方裁判所 昭和53年(ワ)2395号 判決 1982年4月16日
原告 株式会社コサク
右代表者代表取締役 小西陽夫
右訴訟代理人弁護士 河合弘之
同 西村国彦
同 荘司昊
被告 打本幸吉
<ほか三名>
右四名訴訟代理人弁護士 金井和夫
主文
被告打本幸吉、同下清二、同中山昭は各自原告に対し金五九〇万二八四〇円及びこれに対する昭和五三年三月二三日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。
原告の被告打本幸吉、同下清二、同中山昭に対するその余の請求及び被告田中哲夫に対する請求はいずれも棄却する。
訴訟費用はこれを十分し、その一を被告打本幸吉、同下清二、同中山昭の負担とし、その余を原告の負担とする。この判決は原告勝訴の部分に限り仮に執行することができる。
事実
第一当事者の申立
一 原告
被告らは、各自原告に対し、金五九〇二万八四一七円及びこれに対する昭和五三年三月二三日以降完済まで年六分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は被告らの負担とする。
仮執行宣言。
二 被告ら
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
第二請求原因
一 原告はメッキ材料の販売を主たる営業とする株式会社である。
訴外宇野鍍金工業株式会社(以下宇野メッキという)はメッキ製品製造を主たる営業とする株式会社であり、被告らはその役員である(被告田中哲夫は監査役、その他は取締役)。
二 宇野メッキは、昭和五一年一〇月ころより原告からニッケル地金、硫酸ニッケル、シアン金カリ等のメッキ材料を購入するようになった。
宇野メッキは売買代金支払のため訴外寿光鍍金工業所こと長坂勝俊(以下寿光という)の振出にかかる約束手形を裏書交付していた。
取引高は徐々に増加し、昭和五三年二月一七日現在の原告の宇野メッキに対する債権は金三三五六万一〇一四円に達した(他に後述のとおり寿光名義、北陸鍍販名義の売掛金がある)。
三 昭和五一年一〇月の取引開始時点より昭和五三年一月までの間、宇野メッキは原告との取引において次のような違法もしくは不当な行為を行った。しかして原告はその事情を知っていたら取引をしなかった。
1 倒産歴の秘匿
宇野メッキは昭和五〇年八月末に手形不渡を出し、約一億七七〇〇万円の負債を抱え倒産し昭和五〇年一〇月ころは債権者会議が継続して開催されている状態であった。昭和五一年一〇月の段階でも債務額はほとんど変化なく再建の見通しも全くたっていなかった。従って原告と取引をしても原告に対する代金の支払能力は非常に疑わしい状態にあった。しかるに宇野メッキは原告に対し、右の事情を全く秘匿して、あたかも支払能力があるかのごとく申し向け、その旨原告をして誤信せしめて、取引を開始、継続した。
2 虚偽名義の使用その一
前記のとおり、宇野メッキは原告に対する売買代金支払のため、寿光振出にかかる約束手形を原告に裏書譲渡していたが、寿光には何らの営業実体がなく、長坂勝俊なる人物も実在はするが、その了解なく宇野メッキがほしいままに当座を開設して約束手形を振出していたものである。
しかるに宇野メッキは右事実を秘匿し、寿光が宇野メッキの得意先であって、寿光振出の約束手形は宇野メッキが寿光に商品を売り、その代金の支払いのため受領した約束手形であるかのごとく申し向け、原告をしてその旨誤信せしめ、取引を開始、継続せしめた。
3 虚偽名義使用その二
(一) 宇野メッキは昭和五二年二月ころ、原告に対して自らの得意先たる寿光と取引をするように勧めた。寿光には営業実体がないことは前記のとおりである。しかし、そのようなことを知らない原告は、宇野メッキの得意先であり、従来手形決済の実績がある寿光であれば安全であると考えメッキ材料等の取引を開始した。寿光との取引額はその後徐々に増加し、昭和五三年二月一七日時点での代金債権額は九五七万六八三一円である。
(二) また、宇野メッキは昭和五三年一〇月ころ、子会社として北陸鍍販という会社を設立したと称し、原告に取引を求めてきた。そして宇野メッキは北陸鍍販の得意先は大同工業株式会社、加賀リム製作所株式会社等石川県下の有力企業であると原告に申し向け、かつ右大同工業株式会社等との取引を証明するために宇野メッキは右大同工業株式会社等に対する納品書の控えを原告に提示したので、原告はこれを信用して取引を開始、継続した。北陸鍍販との取引はその後急激に増加し昭和五三年一月一七日時点での債権額は一五八九万〇五七二円である。
ところが実際には北陸鍍販には全く営業実態がなく、宇野メッキと全く同一体であった。また、後日原告において右会社等に直接照会したところ、右納品書に見合う取引は全く存在しなかった。
4 「バッタ」行為
宇野メッキは昭和五一年一二月ころから、メッキ材料を、いわゆるバッタ売りする目的で原告から購入し、実際にそれらを仕入価格より低い価格で訴外那賀商会もしくは訴外日本鍍研資材株式会社に売却するようになった。
その状況は別紙「バッタ明細」記載のとおりであって、昭和五二年一二月二三日までに、宇野が「バッタ」にかけた原告からの仕入商品は原告からの仕入価格で八三三三万七九三三円の巨額に達した。
右のバッタ行為は犯罪行為そのものであり、宇野メッキの違法な行為のうちとりわけ違法性の強いものである。
5 放漫経営
宇野メッキの経営は放漫そのものであり、その場しのぎのやりくりに終始し、商人として義務づけられている商業帳簿の作成(商法第三二条)もろくに行っておらず、いわゆるドンブリ勘定であった。とりわけ右の4のような採算のあわないバッタ取引をしていれば、早晩、経営に破綻をきたすことは明白であった。
四 (被告らの責任)
1 被告打本幸吉、同中山昭、同下清二の責任
右三名は宇野メッキの取締役である。前項の1乃至5の行為を、右三名は宇野メッキの代表取締役たる宇野登とともに積極的に推進した。
右の行為は商法第二六六条の三第一項前段の「取締役が其職務ヲ行フニ付悪意アリタルトキ」に該当するから、右三名は原告がこれによって蒙った後記損害を、連帯して賠償する義務がある。
2 被告田中哲夫の責任
被告田中哲夫は宇野メッキの監査役である。監査役は会社に対して会計監査義務を負担し、取締役が株主総会に提出せんとする会計に関する書類を調査し、株主総会に対しこれを報告する義務を負い、その調査の結果、取締役に不正行為があることを発見したときには、これを是正し、あるいはその事実を報告しなければならない。
しかるに被告田中哲夫はこれらの義務を怠り、前記三の1乃至5の取締役の行為を黙過しこれを助長した。右の行為は商法第二八〇条、第二六六条の三第一項前段に該当する。
よって被告田中哲夫はこれによって原告が蒙った後記損害を被告打本幸吉、同中山昭、同下清二と連帯して賠償する義務がある。
五 損害
原告が前記三のとおりの経過で取引を開始継続した結果、昭和五三年二月一七日現在の売掛債権残高は宇野メッキ名義で金三三五六万一〇一四円、寿光名義で金九五七万六八三一円、北陸鍍販名義で金一五八九万〇五七二円である。右総合計は金五九〇二万八四一七円である。
ところで原告は右売買代金総合計支払のため寿光振出の約束手形一八通を受領しているがその一部の寿光振出の約束手形(額面三〇〇万円、振出日昭和五三年二月二五日、支払期日昭和五三年二月二五日、支払地、振出地福井市、支払場所福井相互銀行成和支店、受取人兼第一裏書人宇野メッキ)外一通が昭和五三年二月二八日に資金不足のため不渡となり、宇野メッキは支払を停止し倒産した。よって右債権金五九〇二万八四一七円は取立不能となり、原告は同額の損害を蒙った。
六 結論
よって原告は被告らに対し商法二六六条の三もしくは二八〇条にもとづいて右損害額元本およびそれに対する本訴状送達の日の翌日から完済に至るまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求めて本訴に及んだ次第である。
第三被告らの答弁
一 請求原因一は、被告らが宇野メッキの役員であるとの点を否認しその余は認める。後記のとおり被告打本、同中山、同下は昭和五〇年九月一三日取締役をいずれも辞任し、同田中は同年二月ないし九月ころ監査役を辞任したものである。
二 同二は不知。
三1 同三の1のうち、宇野メッキが倒産歴を秘匿して原告と取引を開始継続したとの点を否認し、その余は認める。
2 同三の2のうち、寿光が営業実体のないものであること、長坂勝俊が実在すること、右寿光振出の約束手形を宇野メッキが原告に対し売買代金支払のため裏書の上交付していたことは認め、その余は否認する。
3(一) 同三の3の(一)のうち、寿光に営業実体がないことは認めその余は否認する。
(二) 同三の3の(二)のうち営業実体のない北陸鍍販と原告との間に取引が開始されたことは認める。これは原告大阪営業所からの強い要請でなされたものである。
4 同三の4、5は争う。倒産後の宇野メッキは原告と直接取引を開始する以前、訴外泰原を介して原告製造にかかる代用金メッキ液ヌーベルゴールドを購入していたが、この商品が一種の欠陥商品であったため、昭和五一年一月ころに至って、この液を用いた眼鏡枠の納入先より製品不良のクレームが出て金二〇〇万円余の損害賠償請求をうける事態を生じ、更に昭和五二年四月ころには、原告から直接購入した錫コバルト合金メッキ液ステンライクを用いた眼鏡枠の納入先より同様に製品不良によるクレームが出、金三八〇万円余の損害賠償請求をうけたゝめ、売掛金の回収どころか逆に賠償金を支払わされる破目となり急速に資金繰りが悪化してしまった。宇野メッキは、結局は原告の製品の欠陥に起因するものであるから原告において解決をつけるべきである旨交渉したが、技術指導も場当り的で結果は少しも改善されず挙句には、原告自身がどうしていゝか判らないと言い出す始末であり、他方賠償問題に関しても言を左右にして全く誠意ある態度を示さなかった。宇野メッキが原告より仕入れた商品のバッタ売りを始めたのは、昭和五二年五月以降であり、前記のような事情で発生した資金繰りの悪化が原因である。
なお放漫経営の点であるが、原告は、前記のように自分でも始末のつかぬ欠陥商品を市場に流したばかりか、経営全般が甚しく放漫で昭和五二年九月ころには、訴外三井物産株式会社の挺入れを受けない限り倒産を避けられないようなピンチに陥っていた。そして、三井物産の挺入れを受ける条件として大阪営業所丈で金二五〇〇万円以上の売上実績をつくる必要に迫られており、ために、宇野メッキの信用状態を知悉し、且つ宇野メッキが自社の商品のバッタ売りを始めたことに気付いていながら、当面の手形を決済させつゝ外見上の売上高をのばす目的で回収見込のない売掛を無理に継続したのである。
四 同四は否認する。原告が主張する宇野メッキの違法もしくは不当行為なるものゝいくつかは違法不当とは断じ難く、違法不当と目されるバッタ行為も実は原告自身の欠陥商品と欠陥商法がその動機を与えたものであり、しかも原告大阪営業所は宇野メッキのバッタ行為を知りながら敢えて取引を継続したものである。そして、宇野メッキが倒産会社で信用のない存在であることを知りつゝ敢えて取引を開始し且つ常識を逸した売掛債権を発生せしめたのは、一にかかって当時経営上のピンチにさらされていた原告の社内事情によるものであり、これこそ宇野メッキに優るとも劣らぬ放漫経営以外の何物でもなく、かゝる放漫経営の結果を取引開始以前に既に取締役を辞任してしまっている被告らの責に帰せしめようとする本訴請求はまさしく信義誠実の原則にもとるものである。更に、寿光及び北陸鍍販名義の取引は、もはや宇野メッキの取引というより、宇野登個人乃至名義貸をした長坂勝俊、北陸鍍販の会社設立に加功した酒井経義らの取引と解すべきものであって、被告らの責任に結びつけられるような性格の取引ではないといわなければならない。
五 同五は不知。
第四被告らの抗弁
被告らは、宇野メッキの取締役又は監査役の地位にあったことはあるが、原告と宇野メッキの間で本件取引が開始された昭和五一年一〇月頃には、既に適法な辞任手続を完了しているから、取締役又は監査役としての所謂監視義務はなく、その違反責任を問われる謂も全くない。すなわち
一1 被告打本幸吉は、訴外福井鋲螺株式会社(以下福井鋲螺という)の代表取締役であるところ、昭和四七年四月ころ、宇野メッキの代表取締役宇野登の要請を受け宇野メッキの取締役に就任した。
2 被告中山昭は、福井鋲螺の常務取締役であるところ、社長の被告打本の指図により同被告と共にそのころ取締役に就任した。
3 被告下清二は、福井鋲螺の取締役営業部長であるところ、被告打本の指図によって、被告中山昭と亡佃正吾(福井鋲螺の常務取締役であった)両名も取締役に就任したが、右佃が昭和五〇年四月病死したため、被告下が、同打本の指図を受けて昭和五〇年七月の役員変更時に右佃に代わる形で取締役に就任した。
4 被告打本、同中山、同下は、いずれも福井鋲螺の常務取締役としての業務に忙殺され、宇野メッキの経営には関与せず、年一回の役員会に出席し決算関係書類に対し意見を述べる程度であったから、昭和五〇年八月末に倒産せざるを得ない程経営が悪化していることを知らされもせず又知らなかった。
5 被告らは、昭和五〇年八月末宇野メッキの倒産を知り、倒産会社の役員として名をとゞめることをいさぎよしとせず、同年九月一三日、第一回の債権者会議が開かれた時点で代表取締役宇野登に対し辞任届を行ったものであり、従ってその後は、年一回の役員会と雖も招集をうけたことがなく宇野メッキの役員としての行為は一切行っておらない。
二1 被告田中は昭和四七年六月ころ、宇野メッキの代表取締役宇野登から監査役になって貰う適当な人がみつからないので監査役に名前を貸してほしいといわれ、名前だけならということで監査役就任を承諾した。
2 被告田中は名前を貸すだけという考えであったから、監査役本来の業務を執行した実績はなく、昭和五〇年二月には監査役辞任の申入れをした。
3 昭和五〇年八月末ころ、宇野メッキ倒産を聞き、登記を調べたところ辞任登記もなされておらず、かえって同年七月に再任の登記がなされていることを知り、そのころ代表取締役宇野登にあらためて辞任届を書いて渡し、同宇野登もこれを了承した。以後同被告は宇野メッキの監査役としての行為は一切行っていない。
第五原告の答弁
被告らがその主張日時に宇野メッキの取締役、監査役を辞任したことは否認する。
第六原告の再抗弁
仮に被告らがいずれも昭和五〇年九月一三日ころ役員を辞任したとしても、被告らの宇野メッキ役員辞任登記手続がなされたのは、本訴状送達後の昭和五三年三月二八日であるから商法一四条により右各辞任をもって原告に対抗しえず、商法二六六条の三の責任を免れ得ない。
第七被告らの答弁及び反論
一 被告らの役員登記が昭和五三年三月二八日まで残存していたことは認める。
二1 前記のとおり被告打本ら三名は昭和五〇年九月一三日には代表取締役宇野に対し揃って辞任届を提出して平取締役辞任の申入れをなし、直ちに辞任登記手続を践むよう申出たのであり、同宇野もこれを了承した。
2 然るに、同宇野は、その後も被告打本ら三名の平取締役辞任登記手続をふまず、依然として再任・就任登記を残存させ不実登記のまゝ昭和五三年三月二八日に至るまで放置していたのであるが、無論被告打本ら三名は前記申入れ後に直ちに辞任登記手続がなされたものと信じていたのである。
3 すなわち、辞任した平取締役である被告打本ら三名としては、登記抹消の申請権限がないので、代表取締役に対して取締役就任登記の抹消(本件ではあるいは辞任登記)を請求する権利があるだけであるから、代表取締役宇野に対して明確に辞任届をそれぞれ提出して辞任の了承を得、その旨の登記手続をふむことを確約させた以上過失はないというべきである。
三1 被告田中は、昭和四七年六月二五日、同宇野の懇請を受けて宇野メッキの名目的監査役に就任しその旨登記されることを承諾したが、同五〇年二月には右監査役の辞任を同宇野に申入れるに至り、同宇野もこれを了承し、その旨の登記手続をとることを約した。
2 然るに、代表取締役宇野は、その後も独自の判断で被告田中の監査役辞任登記手続を履践しないばかりか、昭和五〇年七月一七日にはその一存にて被告田中の監査役再任登記をしてしまった。
3 被告田中は、右の経過を全く知らず、昭和五〇年八月末に宇野メッキが倒産した際に念を入れて自己の登記を調査したところ、初めて監査役再任登記の存在を知るに至ったゝめ、即時に同宇野に対して強く重ねて抗議するとゝもに、改めて監査役辞任届を提出したのであり、同宇野も陳謝のうえ直ちに登記手続をとると確約したのでその後は再任登記が抹消されたものと信じていたのである。
4 すなわち、被告田中は、宇野メッキの監査役に再任すること及び再任登記をされることのいずれについても明示又は黙示の承諾を与えていないにも拘らず、代表取締役宇野により一方的に再任登記がなされたのであるから、この不実登記の作出にはいかなる意味においても何ら加功することがなかったばかりか、不実登記の存在を知ってからは直ちにその抹消請求をしているのであり、不実登記の更正、抹消の申請権限のない辞任監査役たる被告田中としては、不実登記の放置存続について全く過失がないというべきである。
四 仮に被告らに商法一四条にいう不実登記の放置存続につき過失があったとしても、原告は右不実登記であることを知っていたいわゆる悪意の第三者である。
五 仮に被告打本、同中山及び同下につき、商法一四条の類推適用が認められるとしても、以下のとおり商法二六六条ノ三の責任はない。
1 すなわち、商法一四条の類推適用の効果は、表見的取締役も自己が取締役でないことを以って善意の第三者に対抗できないことを意味するが、このことが同法二六六条ノ三の責任に直結しないことは言をまたない。それは、同条の責任成立のためには、任務懈怠=監視義務違反とその故意又は重過失、損害の発生及びそれらの間の相当因果関係の存在を必要とするというばかりでなく、端的に表見的取締役たる被告打本ら三名は、法律上の取締役ではないからである。
「商法一四条の類推適用=同法二六六条ノ三の責任成立」かどうかについては学説に争いのあるところであるが、同条の責任を任務懈怠による責任と解する以上、適法な選任手続を経ている名目的取締役は法律上の取締役であるが、その手続を経ていない表見的取締役は法律上の取締役ではなく、任務もなければその懈怠もないから、同条による責任は問題とならないとする否定説の見解が妥当である。本来、法律上の取締役でなければ取締役の任務懈怠が問題となることはないからであり、本件においても被告打本ら三名は適法に辞任手続を了しており法律上の取締役でない以上、同様に商法二六六条ノ三の責任は否定されるべきである。
2 これに対して、外部の第三者保護の立場からすれば、内部の形式的選任手続の有無によって第三者に対する責任を異にするのは不合理であるとの批判がある。
しかし、この見解は、名目的取締役も表見的取締役も、内部的には名義貸与のみで取締役としての職務を行わず、外部的には取締役であるという点で同様であるという判断を基礎としている。すなわち、表見的取締役として名義貸与している点を重視し当該人が就任登記を承諾したことにより自己が外部的に取締役として表示されていることを充分認識していることを考慮している見解である。従って、適法に辞任手続を経て法律上の取締役でなくなってしまっている場合(以下単に辞任した表見的取締役という)についてまで同様の見解が成立するかは疑問である。けだし、辞任した表見的取締役は、就任登記されることを承諾している表見的取締役(以下単に就任している表見的取締役という)と異なり、そもそも名義貸与していないし、職務についても意識的に行わないのではなく辞任した以上行い得ないと認識しているからである。
これを要するに、就任している表見的取締役は、不実の就任登記作出に加功し、外部的に取締役として表示されていることを認識しているが故に抽象的任務及び抽象的任務懈怠ありと非難され得るのに対し、辞任した表見的取締役は、不実の就任登記存続に過失ありといえども、外部的に取締役として表示されているとは全く認識していない場合には、それ故に抽象的任務も抽象的任務懈怠も成立する余地はないのである。
3 加えて被告打本ら三名は、前記辞任届以後、宇野メッキの経営には一切関与せず、原告との取引についても全く関知していないのであるが、これは取締役を辞任した以上当然のことであり、適法な辞任手続を経て法律上の取締役ではなくなり、実質的にも取締役として行動していない以上、端的に平取締役としての監視義務はその基盤自体を失っていたものといえる。
六 仮に、被告打本ら三名にとり商法二六六条ノ三の責任が問題とされるとしても、被告らの任務懈怠と原告主張の損害との間には相当因果関係が存するか疑問であるのみならずそもそも原告の本訴主張自体が信義誠実に反するものである。
すなわち、前記のとおり、原告主張の損害は、宇野メッキの放漫経営によるものばかりとは到底言えず、却って原告自身の欠陥商品、欠陥商法及び放漫経営の所産というのが正確であるし、且つ宇野メッキの放漫ぶりについては、これと直接取引に当った原告大阪営業所がこれを充分知悉のうえでむしろ自己の経営悪化を脱却せんと焦る余り、敢えて宇野メッキを利用せんとしてきた事情を加えるならば、いわば原告自身の経営ミスによる自業自得的損害として自ら被るべき筋合のものという他ない。宇野メッキの放漫経営と原告の損害との間に因果関係があるとはいえない。
又、およそ表見的責任制度の趣旨からみて右の如き取引実情であった以上、原告には被告らの表見的責任を追及するだけの要保護性に欠けているものと解するのが正当であり、原告の本訴請求は、信義誠実の原則に反するものとして棄却されるべきものである。
第八原告の答弁
被告らの反論のうち、辞任の経緯は否認し、その余は争う。
第九証拠《省略》
理由
一 原告がメッキ材料の販売を主たる営業とする株式会社であること、被告らが宇野メッキの役員であったこと、宇野メッキが昭和五〇年八月末ころ約一億七七〇〇万円余の負債を抱え倒産したこと、寿光、北陸鍍販がいずれも営業実体のないものであることは当事者間に争いがない。
二 右争いのない事実と、《証拠省略》を綜合すると次の事実が認められる。
1 宇野登は昭和四二年三月二〇日、自己を代表取締役、家族を取締役、監査役とする資本金四〇〇万円のいわゆる同族会社たる宇野鍍金工業株式会社(宇野メッキ)を設立し電気鍍金加工販売業をしていたものであるが、昭和五〇年八月末ころ、約一億七七〇〇万円余の債務を負担し倒産したこと、
2(一) 被告打本幸吉は、訴外福井鋲螺株式会社(以下福井鋲螺という)の代表取締役であり、同訴外会社は、鋲螺類の製造販売を事業目的とする会社であるところ、同被告が宇野メッキの役員に就任する以前から宇野メッキとの間に自社製品のメッキ加工を委託する取引関係を有していたこと、宇野メッキの代表取締役宇野登は昭和四七年四月ころ、福井鋲螺に対し、資金の援助方を申入れたこと、これに対し、福井鋲螺は、資本参加の形式でその求めに応ずることを承諾し、宇野メッキが当時一、〇〇〇万円の資本金を一、六〇〇万円に増資するに当ってその内金五〇〇万円を引受け出資するとともに、その際、双方話合のうえで被告打本は、自ら取締役に就任したこと、(昭和四七年七月六日就任登記)、
(二) 被告中山昭は、福井鋲螺の常務取締役であるところ、前記の如き経緯で同会社が宇野メッキの資金援助に応じた際、社長の被告打本の指図により同被告と共に取締役に就任したものであること(昭和四七年七月六日就任登記)、
(三) 被告下清二は、福井鋲螺の取締役営業部長であるところ、前記の如き経緯で同会社が宇野メッキの資金援助に応じた際、被告打本の指図によって、被告中山昭と亡佃正吾(同様に福井鋲螺の常務取締役であった)両名も取締役に就任したのであるが、右佃が昭和五〇年四月病死したため、被告下が被告打本の指図をうけて昭和五〇年七月の役員変更時に右佃に代わる形で取締役に就任したのであること(昭和五〇年七月一七日登記)、
(四) 被告打本は、福井鋲螺として資金援助に応じた以上宇野の経営を監視できるポジションをとりたいという考えから自ら取締役に就任し、更に被告中山らにも取締役に就任せしめたこと、しかし、被告打本、中山、下らはいずれも福井鋲螺の常勤取締役としてその本来の業務に専従する立場にあったので、宇野メッキの経営には全く関与せず、せいぜい年一回の役員会に出席して、宇野登の作成した決算関係書類に対して意見を述べる程度のものであったこと、従って、昭和五〇年七月六日に被告打本、中山両名が再任を、同下が新任を各承諾した時点(昭和五〇年七月一七日就任登記)においても、翌八月末に倒産せざるを得ない程経営が悪化していることを全く知らされもせず又知らなかったこと、
(五) 右被告三名は、昭和五〇年八月末ころ、宇野メッキの倒産を知り、同年九月一三日、第一回の債権者集会が開かれた際宇野メッキの代表取締役宇野登に対し取締役を辞任する旨の意思表示を行ない同宇野登もこれを了承し、以後、宇野メッキとして年一回の役員会の開催も招集も全く行われることなく従って被告ら三名は宇野メッキの取締役としての行為を一切行なっていないこと、
(六) ところで、宇野メッキの代表取締役宇野登は右被告三名からの取締役辞任の申入れに対しこれを了承したものの、今後の事業の継続を如何にするかで手一杯であり、また商法上・登記手続上の知識に乏しいこともあって結局右被告三名の取締役辞任登記手続をしないまま放置したこと、なお昭和五〇年一〇月二九日付で宇野メッキの取締役であった訴外福田恭数、同宇野真子の両名につき取締役辞任登記がなされているが、これは右両名が金融機関との債務保証問題を緊急に処理する必要があったため右両名自らその手続をとったものであること、
3(一) 被告田中哲夫は、税理士業を営み宇野メッキ設立当時から同会社の税務申告事務を受任する取引関係を有していたこと、宇野メッキの代表取締役宇野登は、昭和四七年六月ころ、被告田中に対し、役員の改選に当り監査役になって貰う適当な人が見つからないので監査役に名前を貸してほしい旨申し入れたこと、これに対し、被告田中は、前記の如き取引関係があったところから断り切れず、名前だけならということで監査役就任を承諾したものであること、
(二) 被告田中は、名前を貸す丈という考えであったから、監査役本来の業務を執行した実績は全くなかったこと、のみならず、昭和五〇年二月に至って、宇野登に対し宇野メッキの帳簿類の整理が付されていないのでこれが改善の申入れをしても全く無視され且つ報酬費用の支払もなされないため、税務申告等に関する従来の委任関係を解約することを申入れ、あわせて監査役辞任を申入れ、その登記も速やかに抹消して貰いたい旨要求したこと、同被告としては、昭和五〇年七月に再任(その旨の登記がある)を承諾した事実は全然ないこと、
(三) 被告田中は、前記のように、昭和五〇年二月以後の早い時期に自己の監査役の登記は抹消されているものと思っていたこと、その後同年八月末に宇野メッキの倒産という噂を聞き、登記を閲覧してみたところ、辞任登記がされておらず、かえって同年七月に再任の登記が経由されていることを知ったので、そのころ宇野登に抗議しあらためて辞任の意思を表明し、速やかに辞任登記を履践してくれるよう要求し、宇野もこれを約したものであること、宇野メッキの監査役としての行為は一切行っていないし宇野メッキないし宇野登及び他の被告ら三名とも全く接触がないこと、
(四) しかして、右宇野登は被告田中からの監査役辞任の申入れに対し他の被告ら三名の場合と同様の理由により辞任登記手続をしないまま放置したこと、
4 昭和五〇年九月一三日、第一回債権者集会が開かれ訴外泰電社こと泰原幸一がその代表となったこと、債権者会議は、宇野メッキの残余財産を処分してその処分代金を配当するよりも、債権を一時棚上げにし事業を継続せしめてその収益により崩済をうける方が得策であるとの結論に達したものの、当時の宇野メッキの信用を以ってしては直接材料を購入できる状況ではなかったので、前記泰原が一旦必要な材料を購入しそれを泰原の名において宇野メッキに売渡すという方法を購ずることとしたこと、しかして、前記泰原は、宇野メッキが使用する代用金メッキ液(原告製造にかかるヌーベルゴールド)を原告の取引先であった訴外立花商会より買受け、宇野メッキに転売するようになったこと、
5 ところで宇野登が右ヌーベルゴールドを使用した製品が変色するという例があったため、その使用法を原告に問合わせたところ、昭和五〇年五、六月ころ原告本社から福岡技術部長、同大阪営業所から営業マンである山本義広の両名がその使用法につき説明に来たこと、それを機に原告と宇野メッキとの接触がはじまり、そのころ右山本義広から原告と直接取引を行わないかとの誘引がなされたこと、これに対し、宇野メッキの代表取締役宇野登は、前記倒産並びに泰原との関係を説明し、泰原の了解が得られれば直接購入させて貰う旨回答したこと、その後、数回交渉の末、泰原の了解も得られたので、昭和五一年九月、前記山本が近々東京本社へ転勤になるといって後任者の訴外近藤正明と大阪営業所長五十嵐孝志を同伴し挨拶に来た直後の同年一〇月ころより、原告対宇野メッキ間の直接取引が開始せられたこと、この間に、原告大阪営業所では、興信所を利用して宇野メッキの信用調査を行い、その信用程度を判断するに足る必要資料を入手していたし、宇野メッキが昭和四九年九月ころ公害問題で操業停止一ヶ月の処分を受けたという事実も知っていたこと、これを要するに、原告(大阪営業所)は宇野メッキとの取引開始に当り、宇野メッキが倒産会社であって債権者集会の管理の下に事業継続中であること、従って運転資金等の蓄積もなく旧債務への弁済もあって利潤を上げることも困難な状況下にあること、直接取引を行えば相当のリスクのあることを十分承知していたと推認し得ること、
6 ところで、原告との取引開始に当たり、宇野メッキは、手形不渡による銀行取引停止処分をうけていたため、倒産後事業を継続するに当って宇野メッキ振出の手形決済による取引が行えない状況にあったこと、そこで代表取締役宇野登は妹の夫であり且つ宇野メッキの従業員でもある訴外長坂勝俊の承諾を得て、寿光鍍金工業所の名称を附した同訴外人名義の当座を開設し、同工業所代表者長坂勝俊名義の手形を振出し、これに宇野メッキ名義で裏書して決済する方法をとることとし(二〇日締め、翌二〇日に一二〇日の回り手形)、原告大阪営業所も右寿光の実態、すなわち、右は宇野メッキと実質上同一であって独立の営業実体のない形式上のものであることを知った上で右方法による決済を了承したこと、
7 昭和五二年三月ころ、原告大阪営業所は、右宇野登に対し売掛金が増加し宇野メッキ一社ということでは本社に対して説明がつかないので一部を寿光に対する売掛として処理したい旨申出、宇野もこれを承諾し、以後同名義の取引が開始されるようになったこと、寿光に営業実体のないことは原告大阪営業所も前記6のとおり承知していたこと、
8 昭和五二年九月ころ、売上実績拡大の必要に迫られていた原告大阪営業所は、右宇野登に対し、別会社を設立して新規の取引を行ってほしい旨要請してきたこと、そこで、宇野は従業員訴外酒井経義に新会社設立のことをもちかけたところ、同人もこれに乗気を示し、北陸鍍販株式会社なる会社を設立すべく共同して会社設立資金の調達に着手したものの大阪営業所側の早急にとの要望もあり、結局、設立の完了を待たず設立前の会社としての北陸鍍販代表者宇野登の名において新規取引を開始したこと、
9 昭和五一年一二月ころ、前記4のとおり宇野メッキが原告と取引を開始する以前に訴外泰原を介して仕入れた原告製造の商品に不良品があり、その納入先から宇野メッキが損害賠償請求を受けるといった事もあって宇野メッキの当座の資金繰りが苦しくなったため代表取締役宇野登は訴外泰原に相談したところ、同訴外人から原告の代表取締役である小西忠二の弟の訴外鈴木公男を紹介され、同鈴木を通じ大阪の訴外那須商会(原告大阪営業所員岡野某が代表者)及び原告の取引先でもあった東京の訴外日本鍍研資材株式会社に対し原告から仕入れた商品を仕入額より廉価で投売換金するという方法でとり敢えず当座の手形決済資金を捻出するということになり、右方法が実行されたこと、宇野登としては、右方法による資金繰りは適当な融資元が見つかるまでの二、三ヶ月位のつなぎのつもりであったが、適当な融資元も見つからないまま昭和五二年四月ころには、原告から直接購入した商品に不良品があり、これを使用した製品の納入先から再び損害賠償請求を受けるといった事もあって宇野メッキの資金繰りも更に悪化し、同年五月ころからは、前記方法による投売換金も本格化せざるを得なくなったこと、しかして右投売の明細は原告主張のバッタ明細のとおりであるが原告としては宇野メッキとの取引を継続していく上で宇野メッキの資金繰りに協力せざるを得ないであろうとの気持ちもあって、右バッタ売りをかなりの程度容認していたと推認し得ること、
10 しかして、昭和五三年二月一七日現在において、原告の宇野メッキ等の売掛債権残額は、宇野メッキ名義につき金三三五六万一〇一四円、寿光名義につき金九五七万六八三一円、北陸鍍販名義につき金一五八九万〇五七二円となるところ、原告は右売買代金合計金五九〇二万八四一七円の支払のため、寿光振出、宇野メッキ裏書の約束手形一八通(額面合計同額)を受領していること、しかして昭和五三年二月二八日右約束手形のうち額面金三〇〇万円、同金二二五万九〇六四円の二通が資金不足を理由に不渡となりそれを機に宇野メッキは支払を停止し倒産したこと、そのため、原告の右売掛債権金五九〇二万八四一七円は取立不能となり、原告は宇野メッキ等との取引により同額の損害を蒙ったこと、
以上の事実が認められる。《証拠判断省略》
三 ところで、被告らは、寿光及び北陸鍍販は宇野メッキとは別個の取引主体であり、宇野登個人あるいは長坂勝俊ないし酒井経義の責任であると主張する。成程、昭和五〇年八月末ころ宇野メッキが倒産し、それを機に被告らがいずれも同社役員を辞任したのであるからその時点で、宇野メッキはもはや法人としての人的、物的要素を失ない、それ以後の宇野メッキ名義による取引は宇野登個人としての取引であり、寿光ないし北陸鍍販なるものも宇野登個人が責任主体であると解する余地がない訳ではない。しかし宇野メッキの経営自体は、その倒産前と後とで、手形振出と取引規模との点を除いて大きな差異があったとは認められず、宇野登自身本件取引を通じ法人と個人すなわち、宇野メッキと宇野登個人との区別を明確に認識していたとは認め難く、さすればこそ寿光ないし北陸鍍販についても宇野メッキ又は宇野登とは実質上別個の企業体であるとして意識的に振舞った形跡も窺われないのであるから、結局原告の本件取引のそもそもの相手は宇野メッキであって、それ以後に開始された寿光ないし北陸鍍販名義の取引もつまりは宇野メッキとの取引であると認めるのが相当である。
四 しかして、原告は被告らに対し、本件取引につき宇野メッキの役員としての商法二六六条の三の責任を追求するが、前記認定のとおり、被告らは本件原告との取引が開始される以前の九月ころ全員役員を辞任(株式会社における会社と取締役、監査役との関係は、委任に関する規定に従い(商法二五四条、二八〇条)、委任は各当事者において何時でも解除することができる(民法六五一条一項)のであるから、取締役、監査役はその事由の如何にかかわらず何時でも会社を辞任することができるものであり、一方会社側からも何時でも株主総会の決議をもって取締役、監査役を解任することができ(商法二五七条一項本文、二八〇条)、取締役、監査役が会社のため不利な時期に辞任したときはその損害を賠償する必要がある(民法六五一条二項))し、以後宇野メッキの役員としての職務を執行するということがなかったのであるから被告らはたとえ辞任登記前においても会社に対し役員としての義務を負うものではなく、従って本件取引につき被告らが商法二六六条の三の責任を負うべきいわれはないというべきである。
五 これにつき原告は、商法一四条の類推適用を主張する。
1 被告らの辞任登記がなされたのが本件訴訟提起後の昭和五三年三月二八日であることは当事者間に争いがない。
2 ところで、商法一四条にいう登記した者とは、本件の場合宇野メッキに該当し、しかも取締役、監査役の変更登記につき権限と義務とを有するのは代表取締役たる宇野登である。ところで同条の登記とは、故意、過失により虚偽の登記を自ら登記した者(登記申請者)だけでなく、現になされている虚偽の登記につき、これを是正する措置をとるべき義務ある者(登記申請者)がその責に帰すべき事由によりこれを怠り、そのまま放置している場合も含むと解される。ところで、自己に関する登記をなすことに承諾を与えて登記義務者の登記行為に加功した者も、同人に故意又は過失(軽過失、重過失)がある限りその登記につき登記義務者と同様の責任を負担させ、当該登記事項の不実なことをもって善意の第三者に対抗し得ないと解するのが通説、判例である。しかしながら右を本件辞任の場合に直ちに類推し得るかは問題である。すなわち、代表取締役は別として、平取締役、監査役が一たん辞任の意思を表明し了承されれば、もはや会社に対する義務といったことは主観的にも客観的にも想定し、期待する余地がないというべく、また、登記義務者の辞任登記の未了=不実登記の放置といういわば不作為的な登記行為への加功といったことが考えられるのか、といった問題がある。
当裁判所は、この場合自己の辞任登記がなされておらず不実の登記が残存していることを知りながら過失で不実登記のままこれを放置していたとき、又はこれと同視すべき程度の重大な過失によりその事実を知らずに放置していたときに限り、その登記につき登記義務者と同様の責任を負担させ、その者は右の登記が不実である旨を善意の第三者に対抗し得ないと解すべきと思料する。
(一) しかして、原告と宇野メッキとの本件取引が開始され再度倒産により終了するまでの間において、被告らがいずれも自己の役員登記の残存されていることにつきこれを知っていたと認めるに足る証拠はない。
(二) 被告打本、同下、同中山が宇野メッキにそれぞれ取締役として就任し、その後辞任したいきさつは前記認定のとおりである。
ところで《証拠省略》によれば、福井鋲螺は宇野メッキ倒産時宇野メッキに対し売掛金債権、買掛金債務はほとんどなく、ただ被告打本が訴外福井県機械工業協同組合に対し宇野メッキの振興資金等の借入金債務金二〇〇〇万円につき連帯保証(これにつき訴外福井鋲螺が再保証)している関係上、これが将来の求償権確保の必要と、福井鋲螺として鍍金加工の発注先確保の必要があったこと、又宇野メッキの五〇〇万円の大株主として且つ従来からの大手の発注者として福井鋲螺に対する債権者の期待と要望もあり、昭和五〇年九月二二日ころの時点で既に倒産後の宇野メッキの事業継続に積極的に協力する意思を表明していたこと、その後福井鋲螺と宇野メッキとの鍍金加工の取引は倒産前よりは少ないもののある程度の規模で継続されていたこと、その間被告打本は福井鋲螺の代表者として、昭和五一年一月宇野メッキ所有の倉庫を買取り、同年四月右敷地を宇野登個人から賃借し、同五二年一二月機械装置を宇野メッキに賃貸するといった契約を順次結び、その旨の契約書も取り交わしていること、被告下、同中山も同じ福井鋲螺の役員として代表取締役たる被告打本を通じ、前記宇野メッキないし宇野登との鍍金加工の発注、履行、代金支払状況、その他の契約締結の経緯等を当然知り得る立場にあったし、知っていたと推認されること、以上の事実が認められ右認定を左右するに足る証拠はない。
これらの事実を綜合すれば、被告ら三名が宇野メッキの取締役を辞任した以後も、宇野メッキの代表取締役なる肩書をつけた宇野登と鍍金発注の取引先として接触する機会はしばしばあったし、取引上宇野メッキの現状についても当然経済的関心を持っていたといえるから、被告ら三名につき取締役辞任の登記が既になされたか否かは極めて容易に確かめ得たものというべきであって、それを確かめることなく就任登記が残存していることを知らなかったとしても、それは重大な過失に基づくものといわざるを得ず、被告ら三名は商法一四条の登記義務者と同様の責任に任ぜざるを得ないと認めるのが相当である。
(三) 被告田中が宇野メッキに監査役として就任し、その後辞任したいきさつ、その後の宇野メッキないし宇野登や相被告らとの接触状況等は前記認定のとおりであって、これらの事実と資本金一億円以下の監査役の職務内容、辞任後の税理士としての生活、時の経過等に照らせば、被告田中が監査役就任登記の残存を知らなかったとしても、この点で故意と同視し得る程度の重過失があるとはいえず、他にそれを認めるに足る証拠はない。
しからば被告田中は、商法一四条の登記義務者と同様の責を負わないというべきである。
3 しかして被告打本、同下、同中山は商法一四条の適用につき原告の善意を争う。
ところで商法一四条の善意とは、登記を見てこれが真実であると積極的に信頼したことまでは必要ではなく、登記と事実とが食い違っていることを知らなければ足り、それについて無過失を要しないと解される。
しかして本件においては、前記認定のとおり原告が宇野メッキと取引を開始した時点においての相手方はもっぱら宇野登だけであって、他の被告ら役員の存在は念頭になかったのであるが、その後取引継続中途において宇野メッキの登記簿を見る機会があり、右被告ら三名が役員として登記されていることを知ったこと、しかしながら、右登記記載が真実であるか否かを確かめることもないままに本件取引終了まで至ったことが認められるものの本件取引を通じ原告が被告ら三名の取締役たる資格が不実であることを知っていた、すなわち、悪意であることについてはこれを認めるに足る証拠はない。
4 よって被告打本、同下、同中山は自己が宇野メッキの取締役でないことをもって原告に対抗し得ないといわざるを得ないから、結局右被告ら三名は原告に対し商法一四条により、同法二六六条の三にいう取締役としての責任を免れ得ないというべきである。
六 ところで、前記認定の事実を綜合すると、宇野メッキの代表取締役たる宇野登は確たる将来の合理的な経営方針もなく、運転資金の蓄積もないままに原告との取引を開始したものの、旧債務の支払もあって取引上の利益も少なく、まもなく資金繰りに苦しみ、原告から仕入れた商品を順次仕入価格以下で投売換金するのやむなきに至り、遂に倒産に追い込まれたもので、結局は代表取締役たる宇野登の放漫杜撰な業務執行の結果、原告に前記のような損害を蒙らせたものというべきである。
ところで、被告ら三名は法律上取締役でもないから、会社の業務執行にはもとより全然関与せず、監視義務、忠実義務も負わないといえるが、商法一四条によって同法二六六条の三の規定が適用される関係においては、第三者からみて被告ら三名が取締役の地位にある以上、被告ら三名をその地位にあるものとして取扱うのほかはなく、前記宇野登の杜撰な継続的業務執行については、被告ら三名が取締役としてそれを何らなすところなく放置していた点に重大な過失があった、すなわち、相当な注意をしなくとも宇野登の違法行為を容易に知り得たのに看過し、従って宇野登の業務執行につき監視権発動に必要な措置をとらなかった点に重過失があった結果によるものであるというべきであるから、被告ら三名は原告に対し前記損害賠償の責任を免れ得ない。
七 なお、商法二六六条の三による損害賠償責任に対しても、損害の公平な分担を原則とする過失相殺の規定の適用はあると解すべきところ、前記認定のとおり、原告は宇野メッキの実態、すなわち、同社が倒産会社であり旧債務の支払が未だなされておらず資金の蓄積もなく経営状態が極めて悪化していることを知りながら危険を承知で取引を開始し、継続し、取引量の増加もむしろ原告において積極的であったのであり、宇野メッキのバッタ行為にしても、前記認定の取引経緯に照らせば手形決済資金の急場の資金需要に追われてこれを敢行したもので、もし手形決済資金を確保しなければ、宇野メッキ(寿光、北陸鍍販)は、不渡手形を出し即座に倒産するに至る事態にあったため、代表取締役たる宇野登としては宇野メッキ等の存続をはかるため他に適当な金策手段が見当らないまま止むなく行なったと解し得る面もあり、更に右バッタ行為によって現金を調達することによって蒙った損害は、市井の金融業者から無担保で融資を受ける場合の最高金利負担による損失に比し必ずしも大ではなかったと推認され、他方、原告側の事情として、一般に商人間の売買取引において買主が資金繰りのため仕入価格を下廻る廉価で投売換金する計画にあることを予め知れば、事情の如何を問わず右買主にはもはや買掛代金を支払う能力がなく、後日右売掛代金の回収が不可能になるものと判断し、直ちに掛売を中止し損害の発生を防止する措置に出るは取引の常道であるというべきところ、前記認定のとおり原告には右宇野登のバッタ行為をかなりの程度知っていたと推認されるのでありこの点で原告は損害発生の防止に重大な過失があったといわざるを得ず、これらの事情を併せ考えると、本件取引によって原告の蒙った損害は原告の過失からもっぱら発生したといっていい程原告の過失が極めて大きいから、その過失割合は原告九、被告ら三名一とみるのが相当であり、原告が被告ら三名に対し請求できる損害額は合計金五九〇万二八四〇円となる。
八 よって被告打本、同下、同中山は各自原告に対し金五九〇万二八四〇円及びこれに対する訴状送達の翌日たる昭和五三年三月二三日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払義務があるというべきであり、原告の右被告ら三名に対する請求は右の限度で理由があるので認容し、その余の請求及び被告田中に対する請求はいずれも理由がないので棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 根本久)
<以下省略>